1.50年前のワイン事情
私がソムリエとして最初に働きだしたのはかれこれ50年近く経ちますが、その時はホテル・オークラで若手のソムリエとしてワインのワの字も分からず奮戦しておりました。当時はアメリカ人のお客様が多く、「お前はソムリエとしてトゥーヤング」と良く言われ、頭に来たのを覚えています。確かに本場のフランスでは40~50代で一人前になるので、そう言われるのも当然かもしれません。
その当時ホテル内で扱っていたワインのほとんどがフランスワインで、次にドイツワイン、その他はイタリアワイン。カリフォルニアワインでさえも5~6種程度で、日本のワインに至っては大手のメルシャン、サントリー、マンズ、サントネージュ(協和発酵)等々、各ワイナリー2~3種程度のワインがオンリストされるのみでした。小規模のワイナリーとしてはサドヤのシャトー・ブリアンがオンリストされており、これは評判も良くホテル・オークラのハウスワインでした。
当時のソムリエ達が国産ワインに親しんだきっかけとなったのは1970年代後半から10年間開催された「メルシャン新酒を利く会」でした。その趣旨はワイン事業に携わる外部の方からメルシャンのワインの味を利いていただき、参加者の率直な意見を自社産のワインの品質向上に役立てたいと言うことでした。
その招待者は一流とされるホテル・レストランの管理者、ソムリエ、ワインジャーナリスト、ワインの著書の権威者など70名くらい。私は、このお陰で日本産のワインの長所も短所も理解できました。ただ、日本産のワインは極一部を除き、お薦めするのが難しいかなと思いながらも、当時は白ワインより赤ワインの方が、より期待が大きかったように感じておりました。というのも、甲州ぶどうからできた白ワインは辛口ではなくやや甘口が主流で味わいは平坦で香りも乏しい、個性が発揮されないワインでした。
2.日本ワインの品質向上の歩み
その後、甲州ぶどうから造ったワインに革命を起こしたのが1983年に確立した「シュール・リー」と言われる製法で、メルシャンがフランスのロワール地方で造られているムスカデワインからの手法を取り入れ、それにより評判が良く辛口ワインとしての甲州ワインが確立したのです。その後、甲州きいろ香などを成功させ、また中央葡萄酒では特殊な葡萄の栽培方法で糖分を上げる方法を見出し、それから造った甲州ぶどうのワインが世界のワインコンクールでゴールドメダルを獲得したのです。
また、甲州ぶどうが2010年から世界ぶどう機構が推奨するぶどう品種の仲間に加わり、名実ともに世界的公認のぶどう品種として登録されました。これまでの甘口白ワインから脱皮し、辛口白ワインの甲州として輝きを取り戻したのです。
続いてマスカット・ベーリーAも2013年に世界ぶどう機構に登録され、多様性のある味わいの赤ワインとして注目を集めています。
山梨のワインとしては他に欧州品種としてはプティ・ヴェルドから造られた赤ワインがこの地で才能を開花させ、また、カベルネ・フラン、スペインの赤ワインの代表品種テンプラニーリョも一部のワインナリーで造られ期待されています。
これらのことが実を結び、20年前から次第に日本産ワインの味わいが評価され始めました。
葡萄の騎士の会
顧問 剣持春夫
ホテル・オークラ、ホテルパシフィック東京、シェラトン・グランデ・トーキョー・ベイ・ホテル、シャトー・レストラン・ジョエル・ロブションなどでソムリエ職として約45年間勤め、現在も依頼されたホテル、レストランで現役ソムリエとして活躍中。その間、著名ソムリエコンクールでの優勝歴がある。2009年には東京マイスター知事賞受賞。現在、一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問。一般社団法人日本ソムリエ協会認定マスターソムリエ。
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