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ケンソム(剣持春夫)のワイン便りー第2回ー日本ワイン品質向上の歩み

更新日:2020年11月29日

 前回は、日本ワイン全体の品質向上の歩みをご紹介しましたが、今回はその要因を長野県産ワイン中心にまとめてみました。

その要因としては、

・ ブドウ栽培方法の進歩(キャノピー・マネージメント、収穫時期の適応化他)、樹齢の経過により高品質のブドウが収穫できるようになった。

・ 地球温暖化に伴いブドウの糖分が上昇し、ワインのテクスチャーが向上した。 

・ 醸造技術が進歩した。

・ 2003年から日本産ワインコンクール、長野県での独自の原産地呼称法の設置などにより、ワインのブランド化、差別化が図られ、2010年には甲州市も独自の甲州市呼称制度を設立した。

・ 地理的表示GI制度で「山梨」「北海道」産のワインが指定された。

・ 2015年に待望の国税庁による「日本ワイン」の定義が確立され2018年から実施された。

 いわゆる日本原産のブドウから作られ、日本で醸造されたワインを「日本ワイン」と定められたことは、日本ワインの歩みの中でもエポックメイキングなできごとでした。

 わたくしは、幸運にも5年前から、週末に松本でソムリエとして勤務することになり、特に長野県産のワインを飲む機会が増えました。長野県のワイナリーにも自分の足で回り、また、わたくしが主催をしたワイナリーツアーも企画体験してきました。

 この4月にも、葡萄の騎士の会のワイナリーツアーとして「松本平ワイナリーツアー」を企画しましたが、新型コロナウィルス感染防止の観点から延期とさせていただきました。終息しましたら、開催したいと思いますのでご期待ください。

 30~40年前の国産ワインの記憶を思い浮かべながら飲みますと本当に色、香り、味わい特に旨みと余韻がかなり進歩していると感じています。あの色の薄い、平坦でポテンシャルが感じられないワインは一体何だったのだろうかと回想してしまいます。

 長野県のワインが全国を含め大きく変化したきっかけとなったのが1975年頃であろうか。1945年の終戦直後からのワインの消費は赤玉ポートワインが中心の甘味果実酒が全盛であった。その後、高度成長時代、海外旅行の自由化、食生活の変化などにより、甘味果実酒から本格的な辛口ワインへとその消費量が1975年頃から逆転された。

 それ以降、すでに桔梗ヶ原の食用、ジュース、甘味果実酒用ぶどう栽培者と関係を続けてきたメルシャンとサントリーの大手二社も転換をせざるをえなかった。もともとこの地でメルローを成功させていた林農園の林幹雄氏のもと、甘味果実酒用のコンコルド、ナイアガラからの植え替えが決断され、そこから長期熟成型のメルローの快進撃が始まったのである。その後は周知のとおり、シャルドネ、ソーヴィニョン・ブランの白などの欧州品種も成功を収めている。

 また、ワイン特区と言われる制度を利用し、ワイナリーを設立するための特別措置によりその数が年々増え続け、現在、ワイナリー数は40を超えている。この制度の優遇措置は、以前はワイナリーを設立するためには醸造免許取得後、最低6,000ℓの生産量が必要であったものを、2,000ℓに引き下げたことにある。このことをきっかけに新規ワイナリー設立を目指す者たちが全国に広がり、今の日本ワインの原動力になっている。

 長野県ではワイン事業と共に関連させて、観光事業を発展させる目的として信州ワインバレー構想を2013年に発表。松本盆地、佐久盆地、長野盆地、伊那盆地の4つのエリアに区分けをした。     続く・・・


葡萄の騎士の会

顧問 剣持 春夫


ホテル・オークラ、ホテルパシフィック東京、シェラトン・グランデ・トーキョー・ベイ・ホテル、シャトー・レストラン・ジョエル・ロブションなどでソムリエ職として約45年間勤め、現在も依頼されたホテル、レストランで現役ソムリエとして活躍中。その間、著名ソムリエコンクールでの優勝歴がある。2009年には東京マイスター知事賞受賞。現在、一般社団法人日本ソムリエ協会名誉顧問。一般社団法人日本ソムリエ協会認定マスターソムリエ。

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